妖怪 天狗とは? 入門

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日本の山の妖怪というと、

みなさん何が浮かぶでしょうか?

 山姥、鬼、大男等いろいろと

イメージがでてくると思いますが、

その中に山で起こる怪異の元凶、

妖怪の「天狗」が浮かぶ方が

多いかと思います。

天狗といえば、

真っ赤な赤ら顔に長い鼻、

山伏の恰好の姿が浮かぶと思いますが、

実は天狗のその姿は江戸時代以降に

定着したイメージだという事は

ご存じでしょうか?

今回は天狗の歴史から

現在の天狗の姿ができてきたのか

調べてみました。

【目次】

・そもそも天狗って何?

・古代の天狗

中世・近世の天狗

近世の天狗


〇そもそも天狗って何?

そもそも”天狗”という妖怪は

どういう物なのでしょうか。

日本の辞書「広辞苑」では

天狗とは

 深山に棲息する想像上の怪物。

 人の形をし、顔は赤く、鼻高く

 翼があって神通力を持ち

 飛行自在で、羽団扇(はうちわ)を

 持つとされている。

と書かれています。

妖怪の一種ということですね。


天狗のイメージの変遷

<古代の天狗>

天狗は元々は

中国から伝わって来た妖怪です。

中国の歴史家司馬遷(しばせん)の

書いた「史記」(※1)や

紀元前2世紀頃の中国王朝の歴史を

まとめた「漢書」で、

災いをもたらす凶星(流れ星)として

凶事の前兆を示す妖怪として

書かれています。

天狗という字をあてられた理由としては、

大きな流れ星が流れる時、

空気とぶつかる衝撃波が起こす轟音が

犬の吠える声の様だ、と

当時紀元前中国の人々は表した為、

「天狗」(天の犬)という字であらわされるように

なったそうです。

日本での天狗関係のもっとも古い記事では

「日本書紀」舒明天皇9年(637年)2月条

記載されたアマツキツネといわれています。

大きな音を立てて流れた流星の事

指していたようです。

この頃の天狗は災いの前兆という

立ち位置にいましたが、

このイメージは後世には強く

伝わらなかったみたいで、

「流星=天狗」という記事は

ほとんど見られなくなりました。

(※1)司馬遷の史記

司馬遷(しばせん)とは 中国王朝、

前漢の歴史家。

字は子長。陜西夏陽の人。

武帝の時 父談の職を継いで

太史令となり、自ら太史公と称した。

李陵が中国北方の異民族「匈奴」に

降ったのを弁護して宮刑(去勢手術のち幽閉)に

処されたために発憤したと伝え、

父の志を継いで

「史記」130巻を完成させた。

【史記(しき)】

中国の歴史書二十四史の一つ。

中国上古代、伝説上帝王の黄帝から

前漢の武帝(在位 紀元前141年~紀元前87年)まで

の事を記した紀伝体の史書。紀元前91年ごろ完成。


天狗が書物内で本格的に活躍し始めるのは

平安時代後期

(10世紀末から11世紀)頃からに

なります。

 

平安後期に書かれた

仏法説話「今昔物語」(※2)等で

天狗は様々な怪異を起こし

仏様の教えを妨げるトンビのような鳥の魔物

として登場します。

又、平安時代から盛んに信仰されるように

なった修験道

(古神道の山岳信仰と

 仏教の真言密教が習合した宗教)では、

天狗は山の精霊・神として考えられ

山の中を修行する修験道者や

お寺を守る存在として信仰されていました。

天狗が山伏の姿をしているのは

この修験道にかかわった為といわれていて、

カラス天狗の姿の元は、

修験道の法要や会合の際に登場した

迦楼羅面

(カルラ面、ガルダともいわれます。

カルラは仏法を守る天竜八部衆に所属する

守護神)に影響されてできた

イメージといわれています。

music.jp

(※2)今昔物語(こんじゃくものがたりしゅう)

日本最大の古代説話集。

12世紀前半の成立と考えられるが、

編者は未詳。全31巻。

各種の資料から1000余の説話を集めている。

その各説話が「今は昔」から始まるので

「今昔物語」と呼ばれる。

中心は仏教説話であるが、

世俗説話も全体の3分の1以上を占め

日本古代社会の各層の生活を生き生きと

描いている。


<中世・近世の天狗>

中世半ばになってくると

天狗は仏敵というイメージに加え、

戦を好み、戦を起こそうとする存在としての

性格を持つようになっていきます。

鎌倉時代後期や南北朝時代の騒乱描いた

軍記物「太平記」(※2)では権力争いに負け、

怒りのあまり憤死した天皇(※3)や

高僧が魔王=天狗として

戦を起こそうと密談している様子が

書かれています。

この時期から上位の力を持つ妖怪としての

天狗のイメージが出てきていることが

窺えますね。

この太平記5巻には、

天狗が

「天王寺ノヤヨウレイボシヲ見バヤ」と

はやし立てる怪異が

記されていて、

古代の「流星=天狗」思想の残り香を

感じることができます。


(※2)太平記(たいへいき)

軍記物語。全40巻。

作者は小島法師説が最も有力。

いくつかの段階を経て

応安(1368~1375)~永和(1375~1379)

の頃までに成る。

鎌倉幕府 執権の北条高時失政・

建武中興を始め

南北朝時代50余年間の

争乱の様を描いている。

(※3)天皇(てんのう)

日本の皇帝・天子の敬称。

明治憲法では大日本帝国の元首。

現 日本国憲法では

日本国および日本国民統合の象徴とされ、

国家的儀礼としての国事行為のみ行い

国政に関する権能を持たない。

古くは「すめらみこと」などと呼んだ。


<近世の天狗>

古代・中世では

仏法の敵、仏の教えを妨げる妖怪としての

地位を築き上げてきた天狗ですが、

江戸時代に入ると

神田祭(東京神田大明神のお祭り)や

山王祭(日枝神社の祭り。

比叡山の山岳信仰と神道・天台宗)での

祭りの先導役として天狗が

出てくるようになります。

これは神道の天孫降臨

(天皇の先祖、

 ニニギノミコトが日向の国に 

 天から降りた)の際、

先導役となった猿田彦毘古神(※4)

(サルタビコノカミ)の姿が影響している

ようです。

猿田彦毘古神は長身で口が赤く、

鼻が数十センチもある神様で、

神楽舞では赤い顔の面であらわされる所から

鼻高天狗、現在の天狗のルーツに

なったようです。

民間信仰では

神楽舞や民俗芸能等で

修験道の山の精霊としての天狗が

広く伝わり

天狗火や天狗による神隠しのような

山の中で起こる怪異を起こす妖怪として

逸話や民話、昔話に

よく描かれるようになっていきました。

このような歴史の中、

今日の天狗の姿ができていったのですね。

この歴史もあってか、

天狗には位によって、

犬や鳥の頭を持った下級天狗から

一般的な鼻高天狗まで

いろいろな姿、種類の天狗がいるようです。

天狗の世界にも地位・序列があるとは、

うーん 世の中、世知辛いもんですね。


(※4)猿田彦毘古神(サルタビコノカミ)

日本神話で 瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)降臨の際、

先頭に立って道案内し、のち伊勢国五十鈴(いすず)川上

に鎮座した神。

俳優・衢(ちまた)の神ともいう。

中世に至り、庚申の日にこの神を祀り、

また 道祖神と結び付けられた。


<天狗関連の本>

・「天狗と修験者」宮本袈裟雄 著

・「天狗考」 知切光歳 著

<引用・参照文献>

〇幻想世界の住人たち Ⅳ《日本編》

多田克己著 新紀元社発行

〇日本怪異妖怪大事典

小松和彦監修 東京堂出版発行

〇妖怪事典 村上健司著 毎日新聞社発行

〇広辞苑 第6版

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