印刷の歴史 東洋編

私たちが手軽に手にすることができる本や書籍。

昔は とても高価な物であったため

上流階級の人たちだけの持ち物でした。

しかし、印刷技術が進むにつれ 本の価格が安くなり

庶民が手に入れることができるようになりました。

では、印刷技術はどのように発展していったのでしょうか?

今回は 東洋の印刷の歴史を紹介していきます。



西洋の印刷の歴史【引用・参考文献】

https://cloudhikaku.jp/category/column.php?category=print&column=history2

https://www.bigcompany.jp/useful/insatsu/

https://blog.bestprints.biz/printing-history/

https://www.jfpi.or.jp/printpia/topics_detail21/id=3562

https://www.shumpou.co.jp/technology/lets_learn/phistory/

http://zokeifile.musabi.ac.jp/%E3%83%AA%E3%83%88%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%95/

https://bigakko.jp/course_guide/print_photo/sekihanga/explanation.html


東洋の印刷の歴史

【東洋の印刷史 詳細 西暦800年~1600年まで】

【東洋の印刷史 詳細 西暦1600年~現代まで】

世界最古の印刷技術の発明は 

古代から東洋の文化の中心だった中国で開発されました

中国では古来から金石文(※1)の拓本を取る習慣や、

印章の捺印の習慣があったこともあり、

この2つの習慣が、後の印刷技術の発明につながったとされています。

後漢時代(紀元後25~220年)、洛陽の大学門外に建てられた『永字八法(えいじはっぽう)』の書に

六経(※2)に使う文字を制定し、

その石碑の文字の拓本を、たくさんの識字できる身分の人たちがとっていたと記されています。

また 上の年表『868年 【金剛般若波羅蜜経】』の存在から、

紀元後800年以前の数百年前にはすでに

中国には印刷技術があったと考えられています。

中国でも1040年頃、活字印刷の基型と思われるものが民間人の手によって開発され、

後に朝鮮半島で金属などの活字印刷へと発展していきましたが、

中国・朝鮮・日本では 英語のように26文字のみで成り立つ文章・言語ではなく

たくさんの種類の活字を作る必要があったため

活字印刷は上流階級層や一部の人々にしか広まらず

民間などで使われる印刷技法は、木版(※3)印刷が主流になっていきました

これら印刷によって、書籍が大量生産できるようになったことで、

以前は特権階級の物だった”文化・教養・知識”が

次第に一般庶民の人々も楽しめるようになっていきました。


(※1)金石文

鐘や石碑・仏像などの貴重な石や記念碑などに刻まれた文字・文章。銘のこと。

内容は記録・法令・伝記・文学などさまざまであるが

実在する文献資料の少ない古い時代を 研究する上で重要な歴史的史料である。

(※2)六経

中国における6種の経本。

易経・書経・詩経・礼・楽経(佚書)・春秋の総称。

儒教知識人の必須教養として重要視されていた。

(※3)木版

木の板に文字や絵を彫り付けて作った印刷用の板。

古代中国では主に”梓(あずさ)”の木を使って木版を作っていた為、

当時は出版の事を「上梓(じょうし)」と呼ばれていた。

日本では 古くは”桜の木”を使っていたが、

江戸時代になると桜の木が不足するようになったので

”黄揚(つげ)”で作るようになっていった。


【引用・参考文献】

〇日本書誌学を学ぶ人のために

 廣庭基介・長友千代治著  世界思想社教学社

〇日本印刷文化史

 印刷博物館編集 講談社発行

〇『紙文化・印刷文化の歴史をたどる

           「東の紙から西の紙へ」』 

 奥村和久著 秋田文化出版 発行

〇広辞苑 第6版

〇ブリタニカ国際大百科事典 2009年

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