動物文様『鳥』西洋でのイメージ・意味とは?

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西洋で 鳥とはどういう

イメージ・意味を

持つのでしょうか?

今回は西洋での鳥文様の持つ意味に

ついてまとめました。

【目次】

〇花食い鳥

〇鷲

〇孔雀

〇鳩

〇ニワトリ

〇ツバメ


〇花食い鳥

花をくわえる鳥の文様、

花食い鳥(はなくいどり)は

ササン朝ペルシャ(※1)が

発祥の文様

染め織物のモチーフとして

様々な鳥か使われた模様が

考案・発達し

シルクロードを経由して

東西の文化圏へ

広がっていきました

花食い鳥の文様で

鳥は聖鳥・瑞兆を表す鳥といわれ、

鳥がくわえている枝は

幸せをもたらすものと

されています。

この二つが合わさった

花食い鳥紋様そのものは

吉兆を表す紋様として

染め織物や金細工など

幅広い芸術で使われています。


〇鷲(わし)

鷲は 西洋では一般的に

復活や正義の象徴として

描かれます。

ギリシャ神話では

主神ゼウスの鳥とされ、

古代アッシリア(※2)・

エジプトでは

王の権力の印として

壁画や紋章などに刻まれました。

鷲は正義や王権のほかに

太陽の象徴とされ

地上の象徴であるヘビと対比されることがあるようです。

文様 特に紋章では 

翼を広げ正面を向いた姿で描かれ

西ゴート族(※3)を起源とする

単頭の鷲の図と

ビザンツ帝国(※4)に

由来する双頭の鷲の

二種類の図がよく使われています。


〇孔雀(くじゃく)

孔雀はローマ・ビザンツで

女王のシンボルとして

よく使われました。

ギリシャ神話では

孔雀は主神ゼウスの正妻である

女神ヘラは愛鳥に百の目を持つ怪物

アルゴスの目を付けたという逸話を持っています。

他には 孔雀はキリスト教では

孔雀の尾の先についている羽の模様

「百眼」は 全てを見通す

教会のシンボルとされ、

また 孔雀の肉は腐らないという

逸話・俗信が信じられており

その影響から

不死や復活の象徴

としても芸術作品に使われました。


〇鳩(はと)

鳩は古代から愛された鳥で

いつも同じ相手と一緒にいる姿から

平和で愛情深い鳥とされ

変わらない夫婦の愛の象徴

されました。

このような愛情深さからか

古代メソポタミアや

ギリシャ神話などで

愛・豊穣を象徴する女神の鳥として

関係づけられています。

鳩は キリスト教で

聖霊やキリスト教信徒たちの

平和な魂を表し

キリスト教美術では

天の神と地上のイエス・キリストをつなぐ使者として 

鳩がイエスや聖母マリアの頭上を

飛ぶ構図がよく見られます。


〇ニワトリ

ニワトリは朝方大声で鳴くので

夜明けを告げる鳥として

古代ペルシャでは

夜の悪魔を払う聖なる鳥と

されています。

また、西欧でも 

悪魔が支配するといわれる

夜の終わりを告げる神の使者とされ

風見鳥としてよく使われています。


〇ツバメ

ツバメは東洋・西洋ともに

幸運の象徴・予兆(※5)と

よく言われています。

西洋では ツバメは

渡り鳥であることから

泥の中で冬を越して春を

迎えるとされ

春や再生と関連づけられました

また、ツバメは庶民の味方

貧乏人の守護神の鳥と

考えられていたため

19世紀 社会主義運動が

盛んになった頃

ツバメは革命の象徴として

掲げられた歴史があります。


(※1)ササン朝ペルシャ

(紀元後226~651年)

アルダーシル一世によって

創建され、

アラブ人に滅ぼされた

イランの王朝。

イスタクルの祭司であった

ササンに由来する。

ゾロアスター教を基礎とする

文化発展をとげたが 

連続する戦争により国は疲弊し

ヤズデゲルド3世の時、

425年の歴史を幕を下ろした。

しかし、帝国滅亡後も

その政治制度は

長くイスラム国家に継承され、

さらに ゾロアスター教の経典

『アベスタ』の翻訳、

注釈、ササン朝美術など

文化遺産が後世に与えた影響は

強い。

(ブリタニカ国際大百科事典より)

(※2)アッシリア

西アジアのチグリス川中流

アッシュルを中心とする地方。

紀元前19世紀ごろから

紀元前7世紀にわたって

古代オリエント最初の

世界帝国である

アッシリア王国がこの地方を

中心に栄えたが、

紀元前612年に

カルディア・メディア連合軍に

よって滅亡した。

(※3)ゴート

ゲルマン部族。

原住地はスウェーデン南部。

1世紀ごろヴィストワ河加工付近を

占め、2世紀ごろに黒海方面へと

移住した東ゴートとドナウ川下流に

定着した西ゴートに分かれた。

東ゴートは 

5世紀ごろイタリアに侵入、

王国を建てたが 6世紀中頃に

東ローマ帝国に滅ぼされた。

西ゴートは4世紀末に

イタリアに侵入、5世紀に

イベリア半島に王国を建てたが、

8世紀初頭にイスラム教徒に

滅ぼされた。

(※4)ビザンツ帝国

東ローマの別称

ローマ帝国の

テオドシウス大帝の死(395年)の後

その子がローマ帝国を東西に

両分し、東方部

(エジプト・小アジア・シリア・

ギリシャ)の地を支配した国。

長子アルカディウスが継承して

コンスタンティノープルに

都を建てた。

建国以来千余年で1453年に

オスマン帝国に滅ぼされた。

この間首都はギリシャ正教の中心地として宗教上の指導的地位にあり、

また、ビザンチン文明を

生み出した。

(※5)『詩経雅頌2』(白川静訳注)

株式会社ネットアドバンス運営サイトより 

https://japanknowledge.com/articles/blogtoyo/entry.html?entryid=510


【引用・参考文献】

〇ヨーロッパの文様事典

 早坂優子著  視覚デザイン研究所発行

〇ヨーロッパの装飾と文様

 海野弘著 パイ インターナショナル発行

https://amzn.to/41EJ7jd

https://amzn.to/41RrpKF

〇広辞苑 第6版

〇ブリタニカ国際百科事典 2009年

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