西洋の『黒』に対するイメージ・文化とは?

ヨーロッパで、

黒色はどのような意味を持った

色だったのでしょうか。

今回は 中世ヨーロッパを中心に

黒に対する文化・イメージを紹介します。

【目次】

中世において黒色は悪・悲しみなど悪いイメージの代名詞

近代では高潔・禁欲を象徴する色に評価が変わった黒色


中世において黒色は悪・悲しみなど悪いイメージの代名詞

中世ヨーロッパでは白色が神や神の救いを表す色だったのに対し、

中世において黒色は 死や地獄、醜悪、悲しみなど

人々が忌み嫌うようなイメージや象徴と結び付けられていました。(※1)

特に キリスト教の教えで 黒色は悪魔の肌の色という言い伝え

魔女の服の色は黒く また、魔女である者にはほくろがある、と言われ

中世ヨーロッパで広く行われた魔女裁判(※2)・拷問などの対象にされたりしていました。

当時の人々が黒を着るときは葬式の喪服以外では あまり身に着けることはなく、

それ以外の場合では キリスト教の修道士(特にベネディクト修道会)やシスターなどの

宗教関係の人々が身に着けていました。(※3)

このように黒色は 不吉な色として扱われました。


近代では高潔・禁欲を象徴する色に評価が変わった黒色

中世では 不吉で嫌がられる色だった黒色ですが

時代が変わるにつれ 評価がかわっていきます。

16世紀ごろ、ローマ教会の贖宥状(免罪符)発行に異議を唱えた

宗教者改革者ルターが提唱したプロテスタンティズム(※4)の考えがヨーロッパに広がり

鮮やかな色の服は不徳の表れで、黒こそ禁欲的であることを示す色であるという考えが

人々の中に現れ 次第に伝わっていきました

その結果、15世紀から16世紀あたりから

黒い服は宮廷人の服の色として定着していき、

現代でも このプロテスタントの黒=禁欲という考えは

正装服であるスーツに使われる色が黒いなどの暗い色調が使われる 

由来となって残っているようです。


(※1)ペスト(黒死病)による黒への恐怖

ペストとは 中世ヨーロッパで猛威を振るった疫病の一つ。

ペスト菌の感染によっておこる感染症で死亡率が高く60~90%の死亡率と言われている。

当時、ヨーロッパでは人口の3分の1が

ペストにかかってなくなったとされている。

ペストが黒死病と言われた理由は

症状が進み敗血病が伴うと、皮膚の下に紫色の出血斑ができて

体が黒ずんでいるように見えるようになり

発病から2~3日で患者が死んでしまうからだといわれている

(※2)魔女裁判(魔女狩り)

中世から近世初期のヨーロッパで諸国家と教会とが

異端撲滅と関連して特定の人物を魔女とし、

これを糾弾する魔女裁判を行い火あぶりの刑にした。

17世紀前半が最盛期。

(※3)修道士の服

キリスト教の修道士の服は 羊の毛を染色せずに織っただけの

粗末な服がほとんどだった。

そのため 白に近いものから褐色じみた色まで幅広い色の種類があったようだ。

ベネディクト会修道士の服は黒い羊の毛を主に使っていたため

ベネディクト会の僧侶は『黒僧』と呼ばれていた。

(※4)プロテスタンティズム

16世紀ヨーロッパの宗教改革に出現したキリスト教の教義・諸教会の総体・総称で

提唱者はルター・ツヴィングリ・カルヴァン。

プロテスタンティズムは

ローマ・カトリックと東方教会(ギリシャ正教)と並ぶ

キリスト教の3つの流れの一つで

「信仰のみ」・「聖書のみ」・「万人祭司」を原理にしている。


【引用・参考文献】

〇色彩の紋章 

シシル著 伊藤亜紀翻訳  悠書館発行

〇色で読む中世ヨーロッパ  徳井淑子著 講談社発行

〇色彩の魔力-文化的・美的・心理学的アプローチ

浜本隆志・伊藤誠宏編集 明石書店発行

〇色彩-色材の文化史

フランソワ・ドラマール・ベルナール・ギノー著

柏木博監修 創元社発行

〇色彩の宇宙誌-色彩の文化史

城一夫著 明現社発行

〇広辞苑 第6版 岩波書店

〇ブリタニカ国際大百科事典 2009年

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