東洋の龍 応用2 古代中国の龍

東洋の龍といえば

真っ先に中国の龍をイメージする方は多いのではないでしょうか。

古代中国においても 多くの竜は信仰対象でもありましたが、

一部の龍は人々を脅かす悪龍としても伝わっているようです。

今回は、そんな中国の龍について

紹介していきます。

【目次】

中国の龍

四方の守護神 青龍

河伯(かはく)

共工(きょうこう)

中国の龍の歴史


中国の龍

四方の守護神 青龍

中国の四神(※1)の一つである青龍は

東西南北の中の東の方向を守る守護神として

壁画や鏡などによく描かれています。

特に龍はこの四神の中でも特別な扱いを受けていて

時間や年号・日付にも使われる十二支(※2)の中にも

仲間入りしています

河伯(かはく)

中国の伝承では

黄河(※3)には『河伯』と呼ばれる

人の姿と龍の姿両方で現れる川の神様の話があり

干ばつや日照りが起こった時には

皇帝直々に、河伯に雨を祈願していました。

『抱朴子』(ほうぼくし※4)では 

河伯は人間の女性を妻として要求することもあると書かれており、

この話を題材に「河伯娶婦(かはくしゅふ)」という題名で

中国の歌劇の演目にもなっているそうです。

共工(きょうこう)

中国神話の強力な天帝に反逆した水神として、

共工という龍の話があります。

共工は中国神話で伝説的な優れた王として崇拝された

炎帝神農(※5)の孫で、

赤い髭を生やし人の顔持つ蛇の姿の姿をしています

共工は神としての生まれも優れていましたが

神としても強力な力を持っており、

その力は 河川の水を操り激しい洪水を起こすほど

凄まじいものでした。

共工は、これらの力を武器に天下の覇者になって

地上を支配しようと企んでいましたが

そのたくらみは当時の黄帝(こうてい※6)にばれてしまい

黄帝の臣下に敗北してしまいます

自分が負けたことに激怒した共工は、

周りの山に自分の巨大な体を打ち付けて壊したせいで

天を支える天柱をへし折って大地を傾けてしまったため

それ以降、河の水はその傾きに沿って東南へ流れるようになった

と中国神話に伝わっています。


中国の龍の歴史

(※7)甲骨文字

(※8)金石文

(※9)篆文

(※10)行書


古代中国では古くから『龍』の存在があったようで、

歴史をさかのぼっていくと

古代中国の 殷王朝(※11)の時代の出土品に

甲骨文字の『龍』の字を見ることができます

古代中国の皇帝は、亀の甲羅に甲骨文字を刻み

その年の災害や作物は豊作かどうかを占いました。

その占いの結果、干ばつと出たときは、

皇帝自らが水の神である龍に雨乞いし

祈祷や治水を行い、洪水を起こす龍を鎮めることで

王であることを証明していたようです。

また、古代中国において皇帝とは、

天から承認を受け、地上世界を治める一方、

天の頂点にある北極星の位置に座ると考えられていたことから

天へと上る龍と皇帝は同一視されるようになっていき

古代中国では次第に竜と皇帝のイメージが合体していきます

時代が進み 後漢王朝(※12)頃になると

インドから中国へ仏教が伝わり

仏教の龍王(ナーガ)をまつる廟(※13)が作られ、

仏教による雨ごいが普及していきます

この頃には 

仏教の雨乞いと中国民間の雨乞い祈祷がまじりあい 

人々の間で龍は、水の神兼仏教の龍王として信仰されるようになりました。

(※1) 四神

天の四方の方角を司る神。

東は青龍、西は白虎、南は朱雀、北は玄武を守護している。

別名 四獣

四神は、中国で四季を神に配した名称でもある。

(※2)十二支

歴法で子(ね)・丑(うし)・寅(とら)・卯(う)・辰(たつ)・巳(み)・

午(うま)・未(ひつじ)・申(さる)・酉(とり)・戌(いぬ)・亥(い)の名称。

十二支の動物は 

中国や日本などで時刻や方角を指すときにも使う。

(※3)黄河

中国第二の大河。全長5464㎞、流域面積75万㎢

川の水は大量の黄土を含んでいる。

(※4)抱朴子(ほうぼくし)

中国の晋の道士 葛洪(かっこう)の号、またはその著作名

葛洪は「道教は本、儒教は末」という儒・道の二教併用の思想を持ち

内編は仙人の実在、仙薬の作り方、修道法、道教の教理を論じ

道教の教義を組織化したものとされ、

外編は儒教の立場から世事、人事に関する評論が記されている。

(※5) 神農(別名 炎帝神農)

神農氏は中国神話時代の皇帝。ただし、時代は特定できない。

『史記』三皇本紀には 邪身人首の皇帝である女媧(じょか)の没後(死後)

炎帝・神農氏が皇帝になったとされる。

神農の号の由来は、神農が農具の発明し

それを使って農耕を人々に教えたことから来ている。

また、神農は各地に人々を薬草採取のために派遣し、

自らそれらの植物をなめるという人体実験を行い

365種類の薬を発明したといわれている

これらの逸話から神農は『農業と医学の神』として信仰されている。

(※6)黄帝

中国神話の伝説上の人物。

黄帝の姓は公孫(こうそん)、軒轅(けんえん)と号した。

公孫もとい黄帝は未来を予知し、物事の法則に通じていたとされる。

医術・服装・貨幣・音律・文字などの規定を定め中国医学の基礎を

作り上げたといわれている。

黄帝は中国の伝説上の皇帝とされる『三皇五帝』の中の

五帝の第一番目であるが、三皇に比べて話が整理されているために

事実上中国最初の皇帝とされている。

また、漢民族は黄帝の子孫であると考えられている。

(※7)甲骨文字(こうこつもじ)

亀の甲羅や獣骨などに刻まれた中国最古の体系的文字。

占いの記録を刻んだもので、殷時代に多く西周時代前半でも見つかっている。

(※8)金文(きんぶん 金石文)

動や鉄などの金属で作った容器・兵器・貨幣・印章などに

鋳造したり刻み付けたりされた銘文。

(※9)篆文(てんぶん)      

漢字やモンゴル文字、満州文字の書体の一種

周王朝(紀元前1050~256年)の宣王の時代に作られたといわれている。

今多くの印章に使われる書体

(※10)行書(ぎょうしょ)

漢字の書体の一つ。

楷書と草書の中間の書体。隷書を簡略化したもの。

(※11) 殷(いん)

中国最古の王朝(?~紀元前1122/1027年諸説あり)

中国の歴史書『史書』によると契(せつ)を始祖としている。

殷王朝14代目湯王が中国の伝説上の最初の王朝夏王朝を滅ぼして

殷王朝を建てた。それから王家は19代続き、

最後に紂王が現れて暴政を行い、のちの周の皇帝、武王に滅ぼされた。

20世紀に入り甲骨文字の研究が進み、

殷王朝の存在が明らかになった。

 

(※12)後漢(ごかん)

中国古代の統一王朝、前漢(紀元前202~紀元後8年)および

後漢(紀元後20~220年)と呼ばれる。

紀元前206年に秦王朝が滅亡すると、

秦の武将項羽が西楚覇王と名乗ったが、

現在の陝西省南部に漢王として就任していた劉邦が

紀元前202年に項羽を破って帝位につき

都を長安に定めて漢王朝を創立させた。

しかし紀元後8年に外戚王氏出身の王奔が帝位を奪って

新王朝を建立。この新建立以前の漢王朝は前漢と呼ばれている。

この新王朝は長く続かず、紀元後25年に漢族の劉秀(後の光武帝)が

諸侯を破って帝位につき都を洛陽に定めて漢(後漢)を復興した。

(※13) 廟(びょう)

祖先の霊を祭る所。やしろ(社)


【引用・参考文献】

〇竜の起源 

 荒川紘著 紀伊國屋書店発行

〇図説 竜とドラゴンの世界

 笹間良彦著 遊子館発行

〇幻想世界の住人たちⅢ《中国編》

篠田耕一著 新紀元社発行

〇タオの神々

 真野隆也著 新紀元社

〇常用字解 第二版

白川 静著 ‎ 平凡社発行

https://www.weblio.jp/content/%E7%AF%86%E6%96%87

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