西洋と東洋の『紫』に対するイメージ・文化の違いは?

人類史の中で
紫色はどのような意味を持った
色だったのでしょうか。
今回は 西洋と東洋の
紫に対する文化・イメージを紹介します。
【目次】
西洋の高貴な紫の理由
シルクロードの影響で 中国で嫌われた紫色に対する価値感が変化?
西洋の高貴な紫の理由
古代ギリシャやヨーロッパでのちに影響力を持つキリスト教では
紫色は 神々が愛する色、または神に聖別された色と言われ、
とても高貴で特別な色として人々に扱われました。
また 古代ローマ(※1)では紫色(貝紫色※2)は 皇帝の権威の色として
禁色扱い(皇帝以外は使ってはいけない色)されるほどでした。
なぜ、紫色がここまで高価で特別なものとして扱われたのでしょうか?
それは 紫色の染料自体がとても貴重で
しかも染めるのに大量に必要だったからです。
古代の紫の染料は 地中海に住むアクキ貝の一種の貝から採取され、
この貝から一グラムの染料を作るためには
約二千個ほどのアクキ貝を集める必要がありました。
ヨーロッパでは 紫色の染料を集めるために
染料の取れる貝を乱獲(過剰に採取・捕まえる)してしまった為に、
15世紀ごろには 紫の染料の取れる貝は絶滅してしまいました。
このため 中世ヨーロッパでは 紫は古代の失われた染料・色として
より希少価値が上がりました。
古代に失われた紫の染料の代わりとして
貴重な皇帝の紫(赤紫)を連想させるということで
権威を示すシンボル=赤 という価値観に移っていったようです。
シルクロードの影響で 中国で嫌われた紫色に対する価値感が変化?
西洋では高貴な扱いを受けていた紫ですが
古代中国で紫色は あまり好まれなかったようです。
中国の儒教(※3)の始祖、孔子(※4)からは
「紫の朱を奪うを憎む」
(訳:原色である赤色(朱色)の地位を 混ざりもの色である紫が
赤色の持つ高貴な色である地位を奪うことを憎む
まがいものが本物にとってかわり、その地位を奪うことのたとえ。)
と言われたり、
後漢(紀元後25~220)時代の劉熙(りゅうき)という人物がまとめた
『釈名(しゃくみょう)』という辞典では
紫は『紫は痣也(あざ 皮ふの下にできる内出血のこと)、正色に非ず』と
けっこうひどい扱い・説明をされています(※補足1)。
ところが、唐の時代になり
西洋と東洋をつなぐシルクロード(※5)という交易路ができると
紫を高貴とする西洋の文化が中国に伝わり、
宮廷貴族の中で紫色が流行になりました。
この西洋の価値観は 唐の官僚制にも影響を与え、
唐の官位では 五品位以上の人の
地位の高い人たちが
紫色の服を着るようになっていきました。
このように シルクロードによって西洋文化が東洋に伝わることで
東洋でも 次第に紫色を
人の人徳を表す最高位の高貴な色として扱われるようになっていきました。
古代ローマ(※1) ここではローマ帝国のことを指す
西洋古代最大の帝国。
イタリア半島、テヴィレ川の河口にエトルリア人が前7世紀ころに建てた都市国家から発したが
前6世紀末ごろからラティウム人が支配した。
王政、共和制、第一次、第二次三頭政治を経て、
前27年オクタウィアヌスが統一、帝政時代を実現した。
テオドシウス帝の死後、395年東・西ローマに分裂する。
文学・美術・哲学ではギリシャ模倣の域は出なかったが、
軍事・土木・法制に希有の才を発揮した。
貝紫色(かいむらさきいろ)※2
英語名はロイヤルパープル またはティリアンパープルともいう。
サイトのトップ画 右側の金冠を被った人物の服の色が
実際のロイヤルパープルの色。
貝紫色 ウィキペディアより
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%9D%E7%B4%AB%E8%89%B2
儒教(※3)
孔子の教説を中心とする思想、教学、祭祀の総称。
四書(大学・中庸・論語・孟子)・五経(易経・書経・詩経・礼記・春秋)を経典とする。
仏教・道教とともに中国における中心的な哲学体系であり、
東洋文化を形成する基盤となっている。
孔子(※4)(紀元前551~紀元前479)
中国、春秋時代の学者、思想家。名は丘、字は仲尼(ちゅうきゅう)。
魯(古代中国春秋時代の列国の一つ 山東省の別称)の国に生まれ文王・武王・周公らを崇拝し、
礼を理想の秩序、仁を理想の道徳とし、
孝悌(こうてい)と忠恕(ちゅうじょ)をもって理想を達成することを根底とした。
シルクロード(※5)
中央アジアを横断する東西交通路に対して名づけられた。
古代中国の特産品であった絹がこの道を通り西アジアを経て
ヨーロッパ・北アフリカにもたらされたため、
絹の道=シルクロード
と呼ばれている。
ちなみに海路のシルクロードも存在する。
シルクロード(ウィキペディアより)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%89
(※補足1)
古代中国では紫色は忌み嫌われていましたが、
漢(紀元前202~紀元後220年頃)の官僚制では 官職の印として
紫色のひもが送られていたといわれている。
【引用・参考文献】
〇芸術の解析 吉田光邦 著 思文閣出版
「紫の朱を奪うを憎む」 訳
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E7%B4%AB%E3%81%AE%E6%9C%B1%E3%82%92%E5%A5%AA%E3%81%86/
〇論語詳解452陽貨篇第十七(18)紫の朱を奪うを* 【『論語』全文・現代語訳】サイトより
https://hayaron.kyukyodo.work/syokai/youka/452.html
〇唐朝の官職 Wikipediaより
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%90%E6%9C%9D%E3%81%AE%E5%AE%98%E8%81%B7
〇広辞苑 第6版 岩波書店
〇ブリタニカ国際大百科事典 2009年
