河童 応用①河童の歴史
日本各地で水の妖怪として有名な河童ですが、
河童は意外と新しい妖怪なんだとか。
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河童に関する古い記事は、
室町時代に入った1444年(文安元年)の『下学集』(※1)という本に、
「獺(カワウソ)老いて河童(かはらふ)になる」
という文が見つかっていて、
これが今確認されている最古の河童にまつわる記事になるそうです。
そして、この日本中世から近世にかけての河童は、
今のような両生類みたいな姿ではなく
中世当時、近畿より西の地方の伝承にある毛深い「水中の猿」として
一部地域のみに伝わる水の妖怪・水魔として語られていました。
現在のカエルや亀のような河童の姿が
日本全国に伝わるようになったのは、
江戸中期ごろで、
当時盛んになっていた薬学・博物学(本草学(※)2といいます)の学者たちが、
河童の伝承に注目します。
彼らは未確認生物として河童の正体を突き止めようと
目撃情報や絵図を集めて調べ周り、
その活動によって日本全国に伝わったとされています。
彼ら学者たちの情報ネットワークによって
河童のイメージは全国に広がり、
各地方の伝承されてきた子供の姿をした水の妖怪の伝承が、
後世に「河童」として総称として呼ばれるようになりました。
当時の学者の人たちの、未確認生物「河童」に対する
探究心と熱意のすさまじさが伝わってきますね。
(※1)『下学集』(かがくしゅう)
室町時代(1444年)に編集された国語辞典、全2巻 著作者不明
江戸時代にも盛んに利用され、かなりの数の写本が存在する。
(※2)本草学(ほんぞうがく)
中国に由来する薬物についての学問。
薬物研究にとどまらず博物学の特色も多く含まれる。
日本には奈良時代に伝えられ「本草和名」等の書籍が出てきたが、
江戸時代に特に盛んに研究されるようになり、
「大和本草」や「本草網目啓蒙」等の様々な本が出版された。
さらに、西洋博物学の影響もあり多くの人が「本草学」の発展に寄与した。
≪参考文献≫


